32. 言葉 の 冒険 の 旅 . 機会 を 得る ため に
人生 に は 様々 な チャンス が 転 が っ て いる もの だ が 、 その チャンス を みつけ 利用 する に は ともかく 行動 的 で あり 知識 が なけ れ ば なら ない 。 私 の 場合 、 チャンス を 生み出し た の は 外国 語 の 学習 に 対する 積極 性 だっ た 。
私 は 英語 の 他 に 2 ヶ国 語 を 学 ん で い た が 、 私 の 人生 を 大きく 変え た の は 日本 へ の 異動 と その後 の 日本 語 能力 の 獲得 で あっ た 。 日本 語 を 話せ た から こそ 私 は 日本 の ビジネス 界 で 良い 人間 関係 を 築く こと が でき た の で ある 。 同じ 理由 で の ち に カナダ の 代表 的 な 木材 輸出 会社 2 社 に 採用 さ れる こと に な っ た 。 それぞれ 別 の 時 期 に 、 即 ち 1974 年 から 77 年 まで は シーボード ・ ランバー ・ セールス に 、 そして 1981 年 から 82 年 まで は マクミラン ・ ブローデル の アジア 市場 開拓 業務 に 携わる ため に 雇わ れ た の で ある 。 この こと は 最終 的 に は 自分 の 会社 を 立ち 上げる 結果 を 導き 、 それ に よって ある 程度 の 経済 的 自立 を 果たす こと が でき た の で ある 。
もし 北京 に 行 っ て い たら どんな 人生 行 路 が 待 っ て い た か 、 私 に は わから ない 。 間違い なく 中国 語 が もっと 流暢 に な っ て い た だ ろ う 。 まだ 外交 関係 の 仕事 を し て い た かも しれ ない し 、 学究 的 分野 に い た かも しれ ない し 、 或いは 他 の チャンス が あっ た かも しれ ない 。 けれども 語学 を 追求 し た こと は 自分 の 周り に 網 の 目 を 張 っ た よう な もの で 、 そう で なけ れ ば 巡り合う 事 も なか っ た で あ ろ う チャンス を 掴む こと が でき た の で ある 。
1981 年 の 出来事 が いい 例 だ 。 私 が 東京 に 本拠 を 置く マクミラン ・ ブローデル ・ アジア ・ リミテッド の 社長 を し て い た 時 の こと で ある 。 出張 で 私 は バンクーバー に 帰 っ て い た 。 同じ 時 に フランス の 大事 な 顧客 、 ベルナール ・ ギルメット 氏 が バンクーバー に 来 て い た 。 マクミラン ・ ブローデル の マーケティング 部門 で フランス 語 を 話せる 人間 は 私 だけ だっ た 。 私 は 極東 地域 担当 な のに 我が 社 の 製材 工場 を 訪問 する フランス 人 の 顧客 、 ギルメット 氏 に 丸 1 日 付き添う 事 に な っ た 。 だが その 日 以来 私 たち 二 人 は ずっと 友達 で いる 。
何 年 も 経 っ て から 彼 の 会社 ギルメット ・ エ ・ コンパニィ は 私 の 会社 の ヨーロッパ に おける 最上 の 顧客 と なり 今日 に 至 っ て いる 。 それどころか 、 私 は 1992 年 10 月 、 パリ で の ベルナール ・ ギルメット 氏 65 才 の 誕生 パーティー 、 セーヌ 川 を 下る 船上 の 楽しい ディナー パーティー に 招待 さ れ た 。 その ディナー パーティー の 席上 、 私 は もう 一 人 の 客 、 スウェーデン の ヴィダ ・ ティンバー の 社長 、 クリ スター ・ ヨハンソン 氏 に 会 っ た 。 私 たち 二 人 が 結 ん だ 友情 は やはり 今日 まで 続 い て いる 。 ヨハンソン 氏 に 会 っ て から 4 ヶ月 も し ない うち に 国際 通貨 の 変動 で ヨーロッパ の 木材 は 日本 で 競争 力 が つく よう に な っ た 。 ヴィダ 社 と 業務 提携 し 私 の 会社 が スウェーデン から 日本 に 木材 を 輸出 する 最初 の 業者 に な っ た 。 ヴィダ 社 は その後 スウェーデン 最大 の 製材 会社 の 一 つ に なり 我が 社 の ヨーロッパ から 日本 へ の 木材 供給 の 主役 に な っ て いる 。 この 関係 は 運 が もたらし た もの だ が 、 フランス 語 と スウェーデン 語 、 そして 言う まで も なく 私 が 日本 語 を 知 っ て い なか っ たら 決して 生まれ なか っ た もの で ある 。
自分 の 会社 を 作 っ た 時 、 私 が 目論 ん だ 事 は カナダ の 他 の 同 業者 が 製造 し て いる 標準 サイズ の もの で は なく 日本 の プレハブ 住宅 建設 業者 が 使用 し て いる 特別 な サイズ に 焦点 を 絞る こと だっ た 。 特に すばらしい アイデア と いう もの で は なか っ た が 、 当時 は 理 に 適 っ て い た 。
日本 の 木材 業界 の 様々 な 人々 と 親密 な 関係 を 持 っ て い た ため に 私 に は 市場 の 傾向 が よく わか っ て い た 。 また 私 に は 何 人 か の 友人 ・ 知人 が 新しく 始め た 事業 で 自分 を 信頼 し て くれる と いう 確信 が あっ た 。 私 が 日本 語 を 流暢 に 話せ た こと で これ ら の 人々 と 築 い た 関係 が 私 に チャンス を 与え て くれ た の で ある 。
私 の 会社 が 新参 者 で 会 っ た こと も ない のに 、 世界 一 の プレハブ 住宅 メーカー で ある 積水ハウス ( 株 ) が 住宅 資材 の 供給 を 受諾 し て くれ た 。 1990 年 代 初め に は 私 の 会社 は 積水ハウス の 最大 の 木材 供給 者 と なる まで に 成長 し た 。 同様 に 、 名古屋 の 中堅 木材 卸し 業 「 株式 会社 ぶん ご 浜 」 の 社長 で 友人 の 日 隈 博美 氏 が 、 一緒 に 鮨 の 昼食 を 摂 っ て いる 最中 、10 年 以上 の それ まで の 付き合い を 通して 培わ れ た 相互 の 信頼 関係 に 基づき 木材 の 在来 部材 の 購入 先 を 変更 する こと に 直ちに 同意 し て くれ た の で ある 。 この 関係 も 私 の 日本 語 が 流暢 だ っ た から 築か れ た もの で あっ て 、 英語 を 喋 っ て い たら そう は いか なか っ た ろ う 。 この よう な 国際 的 関係 は 何 年 も 続 い て いる もの で 、 国際 的 ビジネス を 通して 受ける 最大 の 恩恵 の 一 つ で ある 。
我が 社 の 取引 先 で ある カナダ の 木材 供給 者 の 間 で も 言葉 は 信頼 関係 を 築く の に 重要 な 役割 を 果たし て いる 。 私 に とって 最も 大切 な カナダ 人 パートナー の 二 人 は それ なり に リングイスト で ある 。
マニング ・ ダィヴァーシファイド ・ フォレスト ・ プロダクツ ・ リミテッド の 社長 、 ノーム ・ ブーシェ 氏 は ダイナミック で 独立 独歩 の アルバータ 木材 産業 の リーダー と して 知ら れ て いる 。 彼 は もともと ケベック の 出身 で フランス 語 を 話す 。 私 たち は 商売 は 殆ど 英語 で やっ て いる が 、 互いに フランス 語 で 会話 できる こと が 相互 理解 と 信頼 関係 を 深める 要因 と な っ て いる 。 ノーム は アルバータ 北部 の 厳しい 環境 の 中 で 育 っ て おり 、 今 は その 地 に 非常 に 愛着 を 持 っ て いる 。 彼 は どんなに 厳しい 子供 時代 を 送 っ た か を 語る の が 好き だ 。 小さい 頃 、 彼 は 零 下 30 度 に も なる 冬 の 朝 に 凍結 し た 湖 に でかけ て い っ て 氷 に 穴 を 開け 家族 の ため に 水 を 汲 ん で こ なけ れ ば なら なか っ た 。 帰り道 で は 夕食 の シチュー 用 に 仕掛け た 兎 の 罠 を 調べ なけ れ ば なら なか っ た 。 1990 年 代 、 日本 を 訪れ た 時 、 我々 は 豪華 な 日本 料理 の 夕食 を 摂 っ た 。 ノーム は 使い 慣れ ない 箸 で 何 と か 食べよ う と 挌闘 し て い た が 、 彼 独特 の ユーモア の センス で 日本 人 の 接待 者 達 に 自分 は 兎 の 肉 で 生き延び なけ れ ば なら ない 程 貧しい 家 で 育 っ た が 少なくとも フォーク は 買え た ! と 語 っ た もの で ある 。
ベン ・ サワツキー 氏 は 日本 市場 の 開拓 で ずっと 私 の パートナー に な っ て いる 人物 で ある 。 彼 は スプルースランド の 社長 で 極めて 傑出 し た ビジネスマン で ある 。 何 を なす べき か 決断 を 下す の が 速く 、 決断 し たら とことん 追求 し て やり遂げる 。 彼 は 従業 員 の 一 人 と して 出発 し て 今 は 三 つ の 工場 で 150 人 の 従業 員 を 雇 っ て いる 。 それ に 加え て 数 カ所 の 牧場 を 所有 し 私立 の 学校 まで 建て て し まっ た 。 彼 は 英語 の 他 に ドイツ 語 と スペイン 語 を 話す 。 我々 は 一緒 に ドイツ や スペイン を 旅行 し た し 、 言葉 に 対する 関心 が 共通 点 と な っ て 商売 以上 に 二 人 を 結び付け て いる 。
ベン は いつも 日本 の 顧客 と の 会話 に 加わり たか っ た ので 日本 語 を 習い た が っ て い た 。 時々 日本 語 を 勉強 し て い た が 継続 的 な もの で は なか っ た 。 仙台 で 日本 の 得意 先 に 食事 を 接待 さ れ た 時 、 彼 は 私 が トイレ に 行 っ た 隙 を 狙 っ て 自分 の 語学 力 を 試 そ う と し た 。 ベン は いつも 大声 で 話す 。 彼 は 食事 が 「 おいし か っ た 」 と 言 お う と し た の だ が 、 過去 形 と 否定 形 を 混同 し て しまい 、 接待 し て くれ た 人 に いつも の 力強い 声 で 「 おいしく あり ませ ん 」 と 言 っ て し まっ た 。 言葉 の 知識 が 生半可 だ と 危険 を 生む こと に なる 。
現在 、 ノーム ・ ブーシェ 、 ベン ・ サワツキー 、 及び 積水ハウス は 我が 社 と パートナー を 組 ん で おり 、 他 の 何 人 か と 共に アルバータ 北部 に 合弁 の 製材 所 を 作り 成功 し て いる 。