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リングイスト (外国語に堪能な人). 個人的体験に基づく外国語習得のためのガイドブック., 8. 言葉の冒険の旅. ヨーロッパへ. 冒険の始まり

8. 言葉 の 冒険 の 旅 . ヨーロッパ へ . 冒険 の 始まり

モントリオール で の 努力 の 成果 は ますます フランス 語 習得 へ の 情熱 を 掻き立て 遂に 私 は フランス へ 行く 決心 を し た 。 情熱 は 成功 を 導き 成功 は 情熱 を 高める の だ 。

1962 年 6 月 、 夏 休み の バイト だっ た 建設 工事 の 仕事 を やめ 、 モントリオール の 波止場 に ヨーロッパ へ 働き ながら 旅 を する 方法 を 探し に 行 っ た 。 三 日間 、 外洋 航行 の 貨物 船 に 乗り込 ん で は 船長 に 会わ せ て くれ と 頼み ヨーロッパ へ の 渡航 と 交換 に 働く こと を 申し出 た 。 三 日 目 に とうとう 幸運 を 掴 ん だ 。 フレンスブルク から 来 た 小さな ドイツ の 不定期 貨物 船 「 ゲルダシェル 」 が ケベック 市 で 水夫 を 一 人 失 っ た ため 帰途 の 航海 に 乗組 員 を 必要 と し て い た の で ある 。 私 は 道 を みつけ た 。

北 大西洋 上 の 小さな 不定期 船 で の きつい 仕事 と 間断 ない 縦 揺れ は 別 と して 、 その 航海 は 文化 的 な 固定 観念 が いかに 不正確 な もの で ある か と いう こと を 思い知ら さ れる よい 機会 だっ た 。 乗組 員 は ドイツ 人 と スペイン 人 が 半々 で あっ た 。 私 の 思い込み に 反し て 、 働き者 で ある 筈 の ドイツ 人 が のんびり し て い て しょっちゅう 酔っ払 っ て い たり 、 気まぐれ な 筈 の スペイン 人 が ものすごく 働き者 で 真面目 だ っ たり し た 。

およそ 10 日間 の 航海 の 後 私 達 は ロンドン に 到着 し た 。 翌日 食べる 必要 が なけ れ ば 金 を 節約 できる と 思 っ て 私 は 船 で 出る ただ の 食事 を できる 限り 腹 に 詰め込 ん だ 。 実際 に は 、 これ は 愚か な 作戦 で 結局 気分 が 悪く な っ て し まっ た の だっ た 。

ロンドン は 奇妙 で エキゾチック な 場所 に 思え た 。 それ は みんな 英語 を 話し て いる の この 場所 は とても 違 っ て 見え た 。 ハイドパーク の スピーカーズコーナー は ずっと 心 に 残 っ て おり 、 シリング 、 ペンス 、 ソブリン 、 ヘイペニー 、 クイド 、 ボブ 、 ギニー など と いう 古い 貨幣 制度 の こと も 思い出 に 残 っ て いる 。 もう 一 つ 思い出す の は ある 晩 、 ローレンス ・ オリビエ 主演 、 シェークスピア の 「 オセロ 」 の チケット を 買う ため に 歩道 で 寝 た の は いい が いざ 芝居 が 始まる と 目 を 開け て いる の が 辛 か っ た こと だ 。 ロンドン に 一 週間 滞在 し た あ と 、 急ぎ ヨーロッパ 大陸 へ と 向か っ た 。

イギリス の ドーバー から フェリー に 乗り ベルギー の オーステンデ に 着 い た 時 は もう 日 も 暮れ て い た 。 フラ マン 語 を 話す ベルギー 人 が 中世 の 都市 、 ブルージュ まで バイク に 同乗 さ せ て 連れ て いっ て くれ た 。 私 は まだ 若く 無知 だっ た ので 中世 フランドル 地方 の 栄光 の 時代 に ついて は 何 も 聞い た こと が なか っ た 。 また 、 ケベック と 同様 の 言語 を 巡る 緊張 状態 が ベルギー で も フラ マン 語 を 話す 人々 と フランス 語 を 話す 人々 の 間 で くすぶ っ て いる こと を 知ら なか っ た 。 後 に 機会 が あっ て この 中世 の 雰囲気 が よく 保存 さ れ た 町 ブルージュ を 探訪 する 事 が でき た 。 しかし 当時 まだ 若 か っ た 私 は 気 が 急 い て 翌日 に は もう フランス へ と ヒッチハイク を 始め た 。

フランス 人 は 無礼 だ と いう 評判 が ある が 私 が 会 っ た フランス 人 は 友好 的 だっ た し 心から もてなし て くれ た 。 北 フランス の リール の 郊外 で は 二 人 の 教師 が 私 を 拾 っ て くれ て ちょうど 夏 休み だっ た ため その 夜 は 教室 に 泊まる こと を 許し て くれ た 。 それ から 二 人 は 夕食 に 連れ て いっ て くれ 、 そこ で 会 っ た 人々 が 翌日 パリ まで 車 に 乗せ て くれ た 。 私 は 今 でも グラン ・ アルメ 通り を 凱旋 門 に 向か っ て 走 っ て い た 時 の 感動 を まるで 映画 の 一 場面 の よう に 思い出す こと が できる 。 自分 が 本当に そこ に いる なんて 信じ られ なか っ た 。

フランス 人 の 友人 達 が 第 20 区 ― そこ は パリ の 労働 者 階級 の 居住 区 だっ た が ― に ある 質素 な 公共 団地 に 2 週間 泊め て あげる と 言 っ て くれ た 。 旅行 代理 店 で 短期 の 翻訳 の アルバイト も みつけ た 。 この 友人 達 と 2 週間 楽しく 暮らし 食事 を 共に し た 。 市 内 を 徒歩 や メトロ ( 地下鉄 ) で 探索 し た 。 新しく でき た 友人 達 は 私 を パリ 郊外 の 別荘 や その他 の 交際 の 場 に 招待 し て くれ た 。 とうとう 南 に 移動 しよ う と 決心 し た 時 は 心残り だっ た 。

フランス 滞在 の 初期 の 時点 で 完璧 と いえ ない 私 の フランス 語 で も 友達 を つく っ たり くつろ い だ 雰囲気 で 人 と 対応 し たり する 事 が できる と 実感 し た 。 自分 が どの よう に 聞こえる か を 過剰 に 気 に し たり 心配 し たり する こと なく 、 ただ 交流 できる 事 を 楽し ん で い た 。 勿論 時 に は あまり フレンドリー で ない フランス 人 に 会 っ た 。 公務 員 の 多く が 「 いいえ ! 」 と 言う こと に 格別 喜び を 見出す と いう の は 真実 で ある 。 しばしば ある サービス が 受け られる か どう か 尋ねる と 長たらしい 拒絶 の 言葉 が 返 っ て くる 。 「 ああ 、 いいえ 、 つまり 駄目 と いう こと です 。」

しかし 外国 で そして その 文化 の 中 で 生き延びる 為 の コツ は 不快 な こと は なるべく 軽く 考え 積極 性 を 持つ こと で ある 。 私 の フランス 語 は 決して 完璧 と は 言え なか っ た から 時々 もっと 横柄 で 短気 な フランス 人 の お 役人 や 店 の あるじ を 相手 に 一方 的 な 闘い を する 破 目 に な っ た 。 しかし 今 振り返る と その よう な こと を あまり 重要 視 し なか っ た せい か それ ほど 多く の 不快 な 出来事 が あっ た よう に は 思え ない 。 それ より も 自分 の フランス 語 の 能力 不足 から トラブル に な っ た こと の 方 を よく 覚え て いる 。

フランス で の 最初 の 1 年 の 間 に アメリカ 人 の ガールフレンド が でき た の だ が 彼女 の 両親 は スペイン の アリ カンテ で 働 い て い た 。 そこ で 二 人 は イースターホリデイ に ヒッチハイク を し て そこ まで 行 こ う と 決め た 。 私 は 人気 の ある フランス 人 シャンソン 歌手 、 ジョルジュ ・ ブラッサンス の レコード を プレゼント と して 持 っ て いっ た 。 すっかり フランス 贔屓 に な っ て い た 私 は いつも 歌詞 の 意味 が わか っ て い た わけ で は ない が 彼 の 歌 を 聞く の が とても 好き だっ た 。 不運 な こと に 、 私 は 彼 の 歌詞 が あからさま に 猥褻 と いう の で は ない が かなり きわどい もの で ある こと に 気 が 付い て い なか っ た 。 私 を 迎え た 両親 は 持 っ て いっ た レコード を 聞い て ショック を 受け て し まっ た 。 さぞかし かれ ら は 娘 の 付き合 っ て いる 男 の こと を 心配 し た だ ろ う と 思う 。

私 は フランス に 3 年 い た 。 最初 の 年 は フランス アルプス の 産業 都市 グルノーブル に い た 。 残念 な こと に そこ で 1 回 も スキー を する チャンス が 持て なか っ た 。 勉強 し て い なけ れ ば いつも 働 い て い た から だ 。 仕事 は 様々 で 、 排 紙 の 山 を プレ ス し て 配達 用 の バン を 運転 し て 印刷 所 に 運 ん だ り 、 パーク ホテル の バス 係 を し たり 、 市 内 の 主要 な 広場 や カフェ で 夕刊 紙 「 フランス ・ ソワール 」 を 売り 歩 い たり 、 英語 を 教え た り し て い た 。 それ でも グルノーブル 大学 の ホッケー チーム で なん と か ホッケー を する こと が でき た 。 グルノーブル の 魅力 の 一 つ は 大勢 の スウェーデン 人 の 女の子 達 が グループ で フランス 語 を 学び に き て い た こと だ 。 私 は 小さい 頃 覚え て 忘れ て い た スウェーデン 語 を かなり 取り戻す こと が でき た 。

8. 言葉 の 冒険 の 旅 . ヨーロッパ へ . 冒険 の 始まり ことば||ぼうけん||たび|よーろっぱ||ぼうけん||はじまり 8. An adventure in words. To Europe. The adventure begins.

モントリオール で の 努力 の 成果 は ますます フランス 語 習得 へ の 情熱 を 掻き立て 遂に 私 は フランス へ 行く 決心 を し た 。 もんとりおーる|||どりょく||せいか|||ふらんす|ご|しゅうとく|||じょうねつ||かきたて|ついに|わたくし||ふらんす||いく|けっしん||| 情熱 は 成功 を 導き 成功 は 情熱 を 高める の だ 。 じょうねつ||せいこう||みちびき|せいこう||じょうねつ||たかめる||

1962 年 6 月 、 夏 休み の バイト だっ た 建設 工事 の 仕事 を やめ 、 モントリオール の 波止場 に ヨーロッパ へ 働き ながら 旅 を する 方法 を 探し に 行 っ た 。 とし|つき|なつ|やすみ||ばいと|||けんせつ|こうじ||しごと|||もんとりおーる||はとば||よーろっぱ||はたらき||たび|||ほうほう||さがし||ぎょう|| 三 日間 、 外洋 航行 の 貨物 船 に 乗り込 ん で は 船長 に 会わ せ て くれ と 頼み ヨーロッパ へ の 渡航 と 交換 に 働く こと を 申し出 た 。 みっ|にち かん|がいよう|こうこう||かもつ|せん||のりこ||||せんちょう||あわ|||||たのみ|よーろっぱ|||とこう||こうかん||はたらく|||もうしで| 三 日 目 に とうとう 幸運 を 掴 ん だ 。 みっ|ひ|め|||こううん||つか|| フレンスブルク から 来 た 小さな ドイツ の 不定期 貨物 船 「 ゲルダシェル 」 が ケベック 市 で 水夫 を 一 人 失 っ た ため 帰途 の 航海 に 乗組 員 を 必要 と し て い た の で ある 。 ||らい||ちいさな|どいつ||ふていき|かもつ|せん||||し||すいふ||ひと|じん|うしな||||きと||こうかい||のりく|いん||ひつよう|||||||| 私 は 道 を みつけ た 。 わたくし||どう|||

北 大西洋 上 の 小さな 不定期 船 で の きつい 仕事 と 間断 ない 縦 揺れ は 別 と して 、 その 航海 は 文化 的 な 固定 観念 が いかに 不正確 な もの で ある か と いう こと を 思い知ら さ れる よい 機会 だっ た 。 きた|たいせいよう|うえ||ちいさな|ふていき|せん||||しごと||かんだん||たて|ゆれ||べつ||||こうかい||ぶんか|てき||こてい|かんねん|||ふせいかく||||||||||おもいしら||||きかい|| 乗組 員 は ドイツ 人 と スペイン 人 が 半々 で あっ た 。 のりく|いん||どいつ|じん||すぺいん|じん||はんはん||| 私 の 思い込み に 反し て 、 働き者 で ある 筈 の ドイツ 人 が のんびり し て い て しょっちゅう 酔っ払 っ て い たり 、 気まぐれ な 筈 の スペイン 人 が ものすごく 働き者 で 真面目 だ っ たり し た 。 わたくし||おもいこみ||はんし||はたらきもの|||はず||どいつ|じん||||||||よっぱら|||||きまぐれ||はず||すぺいん|じん|||はたらきもの||まじめ|||||

およそ 10 日間 の 航海 の 後 私 達 は ロンドン に 到着 し た 。 |にち かん||こうかい||あと|わたくし|さとる||ろんどん||とうちゃく|| 翌日 食べる 必要 が なけ れ ば 金 を 節約 できる と 思 っ て 私 は 船 で 出る ただ の 食事 を できる 限り 腹 に 詰め込 ん だ 。 よくじつ|たべる|ひつよう|||||きむ||せつやく|||おも|||わたくし||せん||でる|||しょくじ|||かぎり|はら||つめこ|| 実際 に は 、 これ は 愚か な 作戦 で 結局 気分 が 悪く な っ て し まっ た の だっ た 。 じっさい|||||おろか||さくせん||けっきょく|きぶん||わるく|||||||||

ロンドン は 奇妙 で エキゾチック な 場所 に 思え た 。 ろんどん||きみょう||えきぞちっく||ばしょ||おもえ| それ は みんな 英語 を 話し て いる の この 場所 は とても 違 っ て 見え た 。 |||えいご||はなし|||||ばしょ|||ちが|||みえ| ハイドパーク の スピーカーズコーナー は ずっと 心 に 残 っ て おり 、 シリング 、 ペンス 、 ソブリン 、 ヘイペニー 、 クイド 、 ボブ 、 ギニー など と いう 古い 貨幣 制度 の こと も 思い出 に 残 っ て いる 。 |||||こころ||ざん||||||||||||||ふるい|かへい|せいど||||おもいで||ざん||| もう 一 つ 思い出す の は ある 晩 、 ローレンス ・ オリビエ 主演 、 シェークスピア の 「 オセロ 」 の チケット を 買う ため に 歩道 で 寝 た の は いい が いざ 芝居 が 始まる と 目 を 開け て いる の が 辛 か っ た こと だ 。 |ひと||おもいだす||||ばん|||しゅえん|しぇーくすぴあ||||ちけっと||かう|||ほどう||ね|||||||しばい||はじまる||め||あけ|||||しん||||| ロンドン に 一 週間 滞在 し た あ と 、 急ぎ ヨーロッパ 大陸 へ と 向か っ た 。 ろんどん||ひと|しゅうかん|たいざい|||||いそぎ|よーろっぱ|たいりく|||むか||

イギリス の ドーバー から フェリー に 乗り ベルギー の オーステンデ に 着 い た 時 は もう 日 も 暮れ て い た 。 いぎりす||||ふぇりー||のり|べるぎー||||ちゃく|||じ|||ひ||くれ||| フラ マン 語 を 話す ベルギー 人 が 中世 の 都市 、 ブルージュ まで バイク に 同乗 さ せ て 連れ て いっ て くれ た 。 |まん|ご||はなす|べるぎー|じん||ちゅうせい||とし|||ばいく||どうじょう||||つれ||||| 私 は まだ 若く 無知 だっ た ので 中世 フランドル 地方 の 栄光 の 時代 に ついて は 何 も 聞い た こと が なか っ た 。 わたくし|||わかく|むち||||ちゅうせい||ちほう||えいこう||じだい||||なん||ききい|||||| また 、 ケベック と 同様 の 言語 を 巡る 緊張 状態 が ベルギー で も フラ マン 語 を 話す 人々 と フランス 語 を 話す 人々 の 間 で くすぶ っ て いる こと を 知ら なか っ た 。 |||どうよう||げんご||めぐる|きんちょう|じょうたい||べるぎー||||まん|ご||はなす|ひとびと||ふらんす|ご||はなす|ひとびと||あいだ||||||||しら||| 後 に 機会 が あっ て この 中世 の 雰囲気 が よく 保存 さ れ た 町 ブルージュ を 探訪 する 事 が でき た 。 あと||きかい|||||ちゅうせい||ふんいき|||ほぞん||||まち|||たんぼう||こと||| しかし 当時 まだ 若 か っ た 私 は 気 が 急 い て 翌日 に は もう フランス へ と ヒッチハイク を 始め た 。 |とうじ||わか||||わたくし||き||きゅう|||よくじつ||||ふらんす|||||はじめ|

フランス 人 は 無礼 だ と いう 評判 が ある が 私 が 会 っ た フランス 人 は 友好 的 だっ た し 心から もてなし て くれ た 。 ふらんす|じん||ぶれい||||ひょうばん||||わたくし||かい|||ふらんす|じん||ゆうこう|てき||||こころから|||| 北 フランス の リール の 郊外 で は 二 人 の 教師 が 私 を 拾 っ て くれ て ちょうど 夏 休み だっ た ため その 夜 は 教室 に 泊まる こと を 許し て くれ た 。 きた|ふらんす||りーる||こうがい|||ふた|じん||きょうし||わたくし||ひろ||||||なつ|やすみ|||||よ||きょうしつ||とまる|||ゆるし||| それ から 二 人 は 夕食 に 連れ て いっ て くれ 、 そこ で 会 っ た 人々 が 翌日 パリ まで 車 に 乗せ て くれ た 。 ||ふた|じん||ゆうしょく||つれ|||||||かい|||ひとびと||よくじつ|ぱり||くるま||のせ||| 私 は 今 でも グラン ・ アルメ 通り を 凱旋 門 に 向か っ て 走 っ て い た 時 の 感動 を まるで 映画 の 一 場面 の よう に 思い出す こと が できる 。 わたくし||いま||||とおり||がいせん|もん||むか|||はし|||||じ||かんどう|||えいが||ひと|ばめん||||おもいだす||| 自分 が 本当に そこ に いる なんて 信じ られ なか っ た 。 じぶん||ほんとうに|||||しんじ||||

フランス 人 の 友人 達 が 第 20 区 ― そこ は パリ の 労働 者 階級 の 居住 区 だっ た が ― に ある 質素 な 公共 団地 に 2 週間 泊め て あげる と 言 っ て くれ た 。 ふらんす|じん||ゆうじん|さとる||だい|く|||ぱり||ろうどう|もの|かいきゅう||きょじゅう|く||||||しっそ||こうきょう|だんち||しゅうかん|とめ||||げん|||| 旅行 代理 店 で 短期 の 翻訳 の アルバイト も みつけ た 。 りょこう|だいり|てん||たんき||ほんやく||あるばいと||| この 友人 達 と 2 週間 楽しく 暮らし 食事 を 共に し た 。 |ゆうじん|さとる||しゅうかん|たのしく|くらし|しょくじ||ともに|| 市 内 を 徒歩 や メトロ ( 地下鉄 ) で 探索 し た 。 し|うち||とほ||めとろ|ちかてつ||たんさく|| 新しく でき た 友人 達 は 私 を パリ 郊外 の 別荘 や その他 の 交際 の 場 に 招待 し て くれ た 。 あたらしく|||ゆうじん|さとる||わたくし||ぱり|こうがい||べっそう||そのほか||こうさい||じょう||しょうたい|||| とうとう 南 に 移動 しよ う と 決心 し た 時 は 心残り だっ た 。 |みなみ||いどう||||けっしん|||じ||こころのこり||

フランス 滞在 の 初期 の 時点 で 完璧 と いえ ない 私 の フランス 語 で も 友達 を つく っ たり くつろ い だ 雰囲気 で 人 と 対応 し たり する 事 が できる と 実感 し た 。 ふらんす|たいざい||しょき||じてん||かんぺき||||わたくし||ふらんす|ご|||ともだち||||||||ふんいき||じん||たいおう||||こと||||じっかん|| 自分 が どの よう に 聞こえる か を 過剰 に 気 に し たり 心配 し たり する こと なく 、 ただ 交流 できる 事 を 楽し ん で い た 。 じぶん|||||きこえる|||かじょう||き||||しんぱい|||||||こうりゅう||こと||たのし|||| 勿論 時 に は あまり フレンドリー で ない フランス 人 に 会 っ た 。 もちろん|じ|||||||ふらんす|じん||かい|| 公務 員 の 多く が 「 いいえ ! こうむ|いん||おおく|| 」 と 言う こと に 格別 喜び を 見出す と いう の は 真実 で ある 。 |いう|||かくべつ|よろこび||みいだす|||||しんじつ|| しばしば ある サービス が 受け られる か どう か 尋ねる と 長たらしい 拒絶 の 言葉 が 返 っ て くる 。 ||さーびす||うけ|||||たずねる||ながたらしい|きょぜつ||ことば||かえ||| 「 ああ 、 いいえ 、 つまり 駄目 と いう こと です 。」 |||だめ||||

しかし 外国 で そして その 文化 の 中 で 生き延びる 為 の コツ は 不快 な こと は なるべく 軽く 考え 積極 性 を 持つ こと で ある 。 |がいこく||||ぶんか||なか||いきのびる|ため||こつ||ふかい|||||かるく|かんがえ|せっきょく|せい||もつ||| 私 の フランス 語 は 決して 完璧 と は 言え なか っ た から 時々 もっと 横柄 で 短気 な フランス 人 の お 役人 や 店 の あるじ を 相手 に 一方 的 な 闘い を する 破 目 に な っ た 。 わたくし||ふらんす|ご||けっして|かんぺき|||いえ|||||ときどき||おうへい||たんき||ふらんす|じん|||やくにん||てん||||あいて||いっぽう|てき||たたかい|||やぶ|め|||| しかし 今 振り返る と その よう な こと を あまり 重要 視 し なか っ た せい か それ ほど 多く の 不快 な 出来事 が あっ た よう に は 思え ない 。 |いま|ふりかえる||||||||じゅうよう|し|||||||||おおく||ふかい||できごと|||||||おもえ| それ より も 自分 の フランス 語 の 能力 不足 から トラブル に な っ た こと の 方 を よく 覚え て いる 。 |||じぶん||ふらんす|ご||のうりょく|ふそく||とらぶる|||||||かた|||おぼえ||

フランス で の 最初 の 1 年 の 間 に アメリカ 人 の ガールフレンド が でき た の だ が 彼女 の 両親 は スペイン の アリ カンテ で 働 い て い た 。 ふらんす|||さいしょ||とし||あいだ||あめりか|じん|||||||||かのじょ||りょうしん||すぺいん||あり|||はたら|||| そこ で 二 人 は イースターホリデイ に ヒッチハイク を し て そこ まで 行 こ う と 決め た 。 ||ふた|じん||||||||||ぎょう||||きめ| 私 は 人気 の ある フランス 人 シャンソン 歌手 、 ジョルジュ ・ ブラッサンス の レコード を プレゼント と して 持 っ て いっ た 。 わたくし||にんき|||ふらんす|じん|しゃんそん|かしゅ||||れこーど||ぷれぜんと|||じ|||| すっかり フランス 贔屓 に な っ て い た 私 は いつも 歌詞 の 意味 が わか っ て い た わけ で は ない が 彼 の 歌 を 聞く の が とても 好き だっ た 。 |ふらんす|ひいき|||||||わたくし|||かし||いみ||||||||||||かれ||うた||きく||||すき|| 不運 な こと に 、 私 は 彼 の 歌詞 が あからさま に 猥褻 と いう の で は ない が かなり きわどい もの で ある こと に 気 が 付い て い なか っ た 。 ふうん||||わたくし||かれ||かし||||わいせつ|||||||||||||||き||つけい||||| 私 を 迎え た 両親 は 持 っ て いっ た レコード を 聞い て ショック を 受け て し まっ た 。 わたくし||むかえ||りょうしん||じ|||||れこーど||ききい||しょっく||うけ|||| さぞかし かれ ら は 娘 の 付き合 っ て いる 男 の こと を 心配 し た だ ろ う と 思う 。 ||||むすめ||つきあ||||おとこ||||しんぱい|||||||おもう

私 は フランス に 3 年 い た 。 わたくし||ふらんす||とし|| 最初 の 年 は フランス アルプス の 産業 都市 グルノーブル に い た 。 さいしょ||とし||ふらんす|あるぷす||さんぎょう|とし|||| 残念 な こと に そこ で 1 回 も スキー を する チャンス が 持て なか っ た 。 ざんねん||||||かい||すきー|||ちゃんす||もて||| 勉強 し て い なけ れ ば いつも 働 い て い た から だ 。 べんきょう||||||||はたら|||||| 仕事 は 様々 で 、 排 紙 の 山 を プレ ス し て 配達 用 の バン を 運転 し て 印刷 所 に 運 ん だ り 、 パーク ホテル の バス 係 を し たり 、 市 内 の 主要 な 広場 や カフェ で 夕刊 紙 「 フランス ・ ソワール 」 を 売り 歩 い たり 、 英語 を 教え た り し て い た 。 しごと||さまざま||はい|かみ||やま||ぷれ||||はいたつ|よう||ばん||うんてん|||いんさつ|しょ||うん||||ぱーく|ほてる||ばす|かかり||||し|うち||しゅよう||ひろば||かふぇ||ゆうかん|かみ|ふらんす|||うり|ふ|||えいご||おしえ|||||| それ でも グルノーブル 大学 の ホッケー チーム で なん と か ホッケー を する こと が でき た 。 |||だいがく||ほっけー|ちーむ|||||ほっけー|||||| グルノーブル の 魅力 の 一 つ は 大勢 の スウェーデン 人 の 女の子 達 が グループ で フランス 語 を 学び に き て い た こと だ 。 ||みりょく||ひと|||おおぜい||すうぇーでん|じん||おんなのこ|さとる||ぐるーぷ||ふらんす|ご||まなび||||||| 私 は 小さい 頃 覚え て 忘れ て い た スウェーデン 語 を かなり 取り戻す こと が でき た 。 わたくし||ちいさい|ころ|おぼえ||わすれ||||すうぇーでん|ご|||とりもどす||||